「山本五十六」と「北海道砂金掘り」2008年11月02日 22時15分10秒

最近読んだ本をふたつ。

「山本五十六」 阿川弘之
「北海道砂金掘り」 加藤公夫

これらを読む前はずっと三国志を読んでいて、三国志が終わったら次は何を読もうかと本屋さんをぶらぶらしているときに「山本五十六」が目に入って、たまにはそんなに昔ではない歴史ものを読んでみようと思って、読み始めました。

近代日本の小説では司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだことがあります。
これは日露戦争の頃の話で、「竜馬がゆく」の幕末よりはだいぶ時代が進んだなと思った覚えがありますが、「山本五十六」は太平洋戦争なので、それよりも時代が進んだと感じながら読みました。

この「山本五十六」を読んでいる頃に、たまたま砂金堀りの話を会社の人としたら、北海道でも戦前の頃は盛んに砂金掘りがやられていてアメリカからも人が来ていたくらいだよと教えてくれて、その人に「読んでみるといいよ」と手渡されたのが「北海道砂金掘り」です。

これは戦中・戦後の頃に道内を砂金掘りで渡り歩いていた人の話。
十勝の歴舟川や枝幸方面で川で砂金掘りしてそれで生計を立てていたようです。
北海道でもそんな頃があったのですね。

この2冊を同じときに読んでいたのですが、これらは実は同じ時代の話なんですね。
山本五十六のほうは戦争を動かしているその中心であり、つまりは日本の中枢の動きが小説に表れています。
砂金掘りのほうは、戦争中だけどそんな中枢からずっとずっと離れた山奥の現場での労働者の話。
でも戦争と全く関係ないわけじゃなく、金やプラチナが軍需として必要な金属のひとつであり、金額が変われば給料も変わるというところで戦争と結びついています。

同じ時代で生きる、仕事も立場も全く違う二人の物語。
両極の二人で、特に戦争の頃のようなみんなが同じ方向を向いているように思えるような時代でも、世の中にはいろんな立場の人がいて、いろんなことに興味関心をもって生きているんだなということがわかります。

本物志向になりきれない2008年11月06日 06時25分07秒

ある知人が、
「山本さん、今、ヤマハの20万円台のアコースティックギターが狙い目ですよ」
と教えてくれた。

ひょんなことからその彼とギター談義になったのだけど、彼は路上やライブハウスで歌っている唄うたい青年、僕は夜に自宅の部屋の隅で昔の暗い唄をひとりで弾き語る40手前の勤め人。
そんな僕には20万円のギターというのはとうてい手が出ないのだけど、彼はやっぱりギター弾くのなら安物ではダメだと言う。
下手だから安物でいいというのは間違いで、少々高くてもいいもので練習しないとうまくはならないとさらに言う。
だいぶ昔、楽器屋でちょっと高めのギターを弾かせてもらったことがあって、やっぱりその時は、下手ながらもいいギターはいい音するなぁと感激した記憶はある。
でも20万円のギターは今は手を出せない。


「万年筆はいいのを使わないとダメだよ」
と、最近会社の人に言われた。
僕は会社で考え事をするとき万年筆を使う。
ボールペンより軽くさらさら書けるから、思い浮かんだことをテンポ良く紙に書いていくのに都合がいい。
使っているのはもう20年以上も前のもらい物のパイロット。
万年筆好きの人には邪道と言われるかもしれないけど、細めでペン先の引っかかりがなくてとても書きやすい。
これとは別に5000円くらいで新品を買ったことがあるのだけど、ペン先の感触がざらざらして滑りが悪くダメだった。
やはり万年筆はモンブランなのかと、多少お金を持っているときにお店に見に行ったら、確かに書きやすいのだけど線が太くて僕の考え事には合わなかった。
モンブラン以外のメーカーで細めのを探そうと思っているうちに、お金を使ってしまって高級万年筆購入計画は消えてしまった。

もうひとつ。

「カッパはいいのを買うべきですよ」
現地調査では雨に降られることもよくある。
僕が使っているカッパは、ホームセンターで買った3000円くらいのもの。
いや2000円くらいだったかな。
とにかくそのへんで買えるやつ。
同僚が言うには、2-3万のゴアテックスのレインウエア(高級なカッパはレインウエアという)を着ると、もう安物のカッパは着れないそうだ。
僕はそんな高級カッパは着たことないから全く想像すらできないのだけど、とにかく全然違うらしい。
それほどまで言うし、やっぱり今のカッパは夏は蒸れるので、2-3万のレインウエアには気持ちが動きつつある。
でも買うとしてもまた来年だけど。

見かけでなく機能や質の優劣で値段が変わるものであれば、やはり値段が張る分だけ得られるものも格別だということだろうか。
安くて良いものもあるし、高くて悪いものもあるけど、だいたいは安いものはそれなりで、高いものはそれ相当の質があるのだろう。
だからと言って20万円のギターと高級万年筆と2-3万のレインウエアの全てはやはり買えない。

と言いつつ、実は今僕が一番ほしいのは、一眼レフカメラ用の10万円の望遠レンズ。
今使っている望遠ズームレンズに不満を感じるようになってしまって困っている。
ヨドバシカメラに寄るたびに、ショーケースの中に並ぶレンズを眺めるのだけど、最後はため息ついて帰るだけなのである。

本物志向というのは聞こえはいいけど身が持たない。

少しずつだな。
身の丈に応じて手を拡げていこう。

中途半端に地元でシンポジウムは開くな2008年11月06日 23時38分00秒

僕は札幌市の隣、江別市の大麻(おおあさ)というところに住んでいる。

今日、その大麻の地元で、建築研究所という国の研究機関が主催で「成熟社会にふさわしい地域運営の手法」というシンポジウムが開催された。
テーマを簡単に書くと、大麻一帯が昭和40年代前半に開発されたニュータウンで、開発から40年経って街全体が高齢化していて、そんなところでこれからどうまちづくりしていくべきかを議論することらしい。

開催される場所が、札幌でなく江別で、しかも江別の中心ではなく市役所の出先出張所の会議室だということで、どんな地元密着の話が聴けるのかと期待して参加した。

が、全くの期待はずれだった。

ある人は高齢化したニュータウンの一般論、関東から来た大学の先生は自分が関わっている渋谷センター街でのまちづくりの話をし、道内の公的研究機関の人は辛うじて大麻でとったアンケート結果からいまの大麻の現況の説明をされたが、聴いていてこれは全くの分析不足。
整理されたデータから、表面的に誰でも気づくようなことしか説明されなかった。

主催者はシンポジウムの開催場所を地元にする意味を深く考えただろうか。

地元の公民館のようなところに乗り込むのであれば、地域の住民は自分たちの地域の今後のことをどう説明してくれるのだろうかと期待するということくらいは容易に想像できるはず。
だけど、講演者の誰もがこの地域のことを親身になって考えているようには見えなかった。
アンケート調査にしても、大麻という地域のこれからを考えるためというよりは、ただの学術的研究の材料のために大麻を使っただけというくらいにしか見えなかった。

一般論、関東や海外の事例紹介などを都市計画系の同じ専門分野の人達で語り合うためのシンポジウムなら、地元に入らずに札幌や東京でやればいい。
そのほうが変な誤解は生まない。
会場を見渡すと、地元の高齢者もそれなりに来ていた。
地元で開催しましたという主催者の自己満足のために、そんな地元の人を巻き込むのはやめたほうがいい。

今日はちょっと感情的に書いた。
とても腹が立ったので。

中古車検索サイトを眺める楽しみ2008年11月10日 22時09分24秒

中古車情報のサイトにはまっている。
夏に車を買い換えたのだけど、その頃ずっと中古車情報をネットで見ていて、車を買ったあともそのサイトを見続けている。

買う目的があれば現実的に買えそうな車しか検索しないのだけど、買うつもりがなくなると、現実に縛られる必要はないからフェラーリやランボルギーニとかのスーパーカーを検索して写真を眺めたり、遊び感覚になるのだ。

よく眺めるのはランクル80。
つくづく名車だなと思う。
すごいなと思うのは、15年前の車だろうと10万km走ってようと、いまだに150万円とか200万円の値段がついている。
もうマニアしか買わないのかもしれないけどね。
僕もこんなのに乗りたいなぁと思ったりするけど、うちの車庫には入らないし、維持費も払えないだろうし、そもそも高くて買えない。
それでもネットで眺めているだけでも楽しい。
ある店のランクル2台はいつの間にかサイトから消えた。
そうなのだ、いいなと思う車はやっぱり買う人がいるのだ。

そう言えば先日、自宅近くで白のメガクルーザーを見た。
珍しいので信号待ちで並んでいた間ずっと見とれていた。
かつてトヨタから1000万円近い値段で売られていた自衛隊車だけど、今はもう販売されていない。
うちに帰ってからいつもの中古車ネットで見たら、高知県の中古車店の1台しかなかった。
ほしいとは思わないけど、一度間近でじっくり見てみたいものだ。

夏に中古車ディーラーの方に教えてもらったのだけど、今はRV車は全然売れないそうだ。
夏頃は特に一番ガソリンが高い時期だったから余計に売れなかったのだろう。
全然売れないのに実は値段はあまり下がらない。
オークションではロシアとかの海外の人が高い値段で買っていくから、競争で高い値段で買わざるを得ないらしい。
海外の人は金持ち向けに買っていくから、買取の値段を下げる必要がない。
そんなオークションで結局は高めの値段で買って、中古車店に並べたら今の日本では軽自動車かハイブリッドが超人気で、大きい車には誰も見向きしない。
そんな事情で大きい車が店に残り続けるそうだ。

もうひとつ、最近そのサイトで見つけた車で、H12年式ランクルプラド99万円。
それだけだと別に何とも思わないのだけど、その車の走行距離は79万キロ!
これはちょっと衝撃。
79万キロの車を売るか?
それも100万円近い値段をつけるか?
そもそも79万キロもよく乗ったなと思うよ。
前のオーナーはトヨタから表彰されてもいいんじゃないかな。
そう言えば、僕が東京にいる頃によく乗っていた個人タクシーのじいちゃんは最高級クラウンのタクシーを53万キロ乗って、ディーラーに「表彰しろよ」と言ったけどダメだったと言っていたのを思い出した。

何だか車に興味のない人にはさっぱりわからない話をだらだら書いてしまいました。
失礼しました。
最後に、僕が夏に買った車はだいぶ年式落ちのエクストレイル。
予想をはるかに超えるくらい快調です。

小さな怒りを出すか飲むか2008年11月13日 12時30分27秒

仕事帰りに札幌駅近くのドトールに入ったときのこと。
いつもより少し混んでいて、椅子に荷物を置いてところを空けてもらおうとサラリーマン風の男性に声をかけた。
返事がなかったので、無視されたかなと思いつつ腕のところをトントンとたたいたら、その時初めてその人が居眠中だったことに気がついた。
申し訳ないことをしたなと思いつつ、もうトントンとたたいた後なのでしょうがない。
「席空けて頂けますか?」とお願いした。
眠りを邪魔された男性は、露骨にイヤな顔をしながら、すごく渋々荷物をどけてくれた。
何だか後味悪いなぁと思いながら、僕はその席でコーヒーを飲み、考え事にふけった。

別の日、出張で網走方面に向かうJRの特急の中、僕の前の列にちょっと年老いた欧米人旅行者が座っていた。
知床の地図を広げていたので、道東旅行に向かうところだったのだろう。
その方、車内販売が来たときにコーヒーを頼んだ。
お金を支払ってコーヒーを受け取ったあと、販売員のお姉さんが歩き出したとき、その方は姉さんをもう一度呼び止めて、自分が持っていた弁当のゴミを渡そうとした。
僕は後ろから見てて、そりゃダメだよと思った。
飛行機の客室乗務員ならゴミを持って行ってくれるかもしれないけど、列車でそんなことを頼む人は見たことがない。
お姉さんにしたら内心「私はゴミ係じゃないわよ」と怒りを感じてもおかしくない。
どうするかなと思ったら、そのお姉さんは、ニコッと笑って「あちらです」とデッキを指さして、自分で捨てに行ってくれるように促した。
その外人さんは「OK」と言ってうなずいた。
お姉さん、ナイスプレーだ。

いまの世の中、小さな怒りを大きく膨らませることに慣れすぎているかもしれない。
ちょっとした感情を制御せずに表に出す。
でも不満をぶつけられた相手は必ず不快になる。
不満と不快を引きずった両者は気分の優れない時間をしばらく過ごすことになる。
小さな不満は飲み込んで、ちょっと機転を利かせることで両者ハッピーになれることがあるんだと、車内販売のお姉さんを見ていて思った。

ま、怒ることはあるんだけどね。
もともと気分が優れない時だってあるしさ。
でも、ぐぐっと飲み込んだり、さらっと流したりするのも、ひとつの訓練だよなぁ。