釧路へ2018年04月23日 11時59分48秒

また今年度も釧路に通う日々が始まった。
今回は業務からちょっと離れてプレゼン企画。

釧路(岩保木水門)2018年04月25日 08時08分18秒

釧路の現地へ。
恥ずかしながら、岩保木水門に行ったのは初めて。
このほか、細岡展望台、茅沼旧川復元箇所へ。

北見2018年04月26日 09時53分31秒

釧路から北見へ移動して大学で打合せ。
学生さんがやっている計算を見てディスカッションしてきました。
帰りはこの飛行機、とてもコンパクト。

考えごといくつか2018年04月30日 17時40分17秒

最近は出張記録のようなことばかり書いていたけど、たまには文章を書こうかと思う。
それこそ雑想をとりとめなく。


先日、仕事を引っ張る立場の方と話をしていて、自分でがつがつ引っ張るのではなく、その分野に精通して貪欲な方がいればその人を立てて引っ張ってもらう仕事をしたほうがいいという話になった。
僕もどちらかというと自分が引っ張ろうというタイプだと思うのだけど、実は最近同じようなことを考えていた。
つまり、仮に自分がそれなりのレベルであっても、自分の先頭意識が強すぎると、仕事のレベルが自分レベル以上にはならないわけで、さらに上の仕事にしようとしたら、自分よりわかっていて、自分より熱意のある人と組んで、上を求めていったほうがいい。
自分はそういうやり方に少しずつ変えてきている。
自分でやることをやめたとか、一線で戦うことから一歩退くとかではない。
自分が全てという背負い方をいつもやらないということ。
今頃気づいたのかということかもしれないけどね。
でも、そうすると、できる人を仕事に巻き込むわけで、そのつもりの僕はいいけれど、僕の周りは、関わらないといけない人が一人増えたという面倒くささを感じることもあるかもしれない。
でも、自分たちだけでクローズして仕事するのは、ある程度手順が見えた定型的な仕事ならいいけど、そうでない、つくり出す仕事ではダメだね。


別の話、たびたび英語をなんとかしたいと思いながら、英会話に通ったこともあり、でもなかなか苦手領域から抜け出せずほぼ諦めていたのだけど、また諦めきれない思いが出てきて、年明けくらいからこっそり勉強をまた始めた。
こんなとこに書いたらこっそりにはならないけど。
いろんなことを歳のせいにする気はないのだけど、覚えたと思ったことが頭に残らないという年齢なりの衰えはすごく感じる。
勉強は裏切らないというけれど、記憶は裏切られる。
だいぶ単語を調べる回数が減ったかなと感じるのがせめてもの救い。
ま、めげずにやるだけか。


働き方改革は総論賛成なんだけれど、みんなそれでいいのとも思う。
そりゃ早く帰りたいし、しんどい仕事はしたくない。
でもしんどいことをやった先に経験が残るし仕事の知識も残る。
面倒な相手とはやり合いたくないけど、その経験が仕事の自分を強くする。
パワハラという言葉も広まり、上は下にあまり負荷をかけさせないのが良しとされるけど、面倒な仕事を上が引き取ったりほかの人に回したりすることは、実は下ができる経験を奪っていることになっている。
目先の負荷の軽減が、飛躍のチャンスを逃させることになっている。
そんな状況でも嫌がらずに、逃げずに仕事を引き受ける人だけ実力が伸びる。
つまり、働き方改革というのは、やる人がさらに伸びて、やらない人がそのまま変わらずあり続けるという社会をつくっていくということ。
実力の格差社会がやってくる。
奪い取るように仕事をするという感覚も時には必要ではないの。
権利を主張してほどほどの仕事だけして、実力もついて給料も地位もアップするという都合の良い世の中はおそらくない。


このブログ、始めてから10年以上経っていた。
文章を書くことの訓練も兼ねていたので、はじめの頃はもっと一生懸命文章を書いていた。
誰が読んでいるかわからないのだけど、2回同じようなことは書かないという自分の中の決まりごとをつくって、そのときそのときの考えを記録のように書いていた。
まだまだ書くぞという思いはあるのだけど、特に最近は日常こなすこと、考えることが多くて、ここに文章を書く時間をなかなかつくれない。
それほど文章を書く要領がまだ備わっていないということか。

世の中連休中だけど、休みっぽくない時間の過ごし方をしている。
ほどほどに休まなきゃね。