企画力をつけるためには手戻りを嫌がらない2013年05月26日 20時53分47秒

いま僕がいる部署で「企画力の向上」がテーマになっていて、そのためのプレゼンの練習も始まった。
僕自身も企画力というのを身につけたいと思うから、この機会に、どうしたら企画力というのが向上するのだろうかと考えるようになった。

企画力という言葉はわかるようでわかりにくい。
提案力でもいいかもしれない。
つまりは、誰かが決めたことをこなす仕事ではなく、その仕事をどんなふうに組み立てて、何をつくっていくかというのを考える仕事というのかな。
新しいこととか、より良くなることを自分考えて提案していく力と言ってもいいね。

でも何かを提案しようにも、その前の提案する中身をつくり出せないと提案自体ができない。
提案しているつもりでも、その分野の人なら誰でもすぐに思いつくような情報で埋めつくされている提案なんてのは、体裁はよく見えても企画力はゼロ。
決して目新しいことばかりの必要はないけれど、企画力が求められるような場面というのは、少なくとも相手は従来通りのやり方では解決策が見つからないような状況だろうから、ありきたりのことを言ってもダメ。
そういうときに頼りになる企画力のある技術者を目指したい。

じゃあその企画力をつけるためにはどうしたらいいか。

いろいろと考えているうちに、ふとひとつ思った。
「手戻りを嫌がらない」というのが意外と大事なんじゃないか。
手戻りと企画力って一見結びつきにくい気もするけどね。

業務に実際に携わる立場としては、手戻りってすごく嫌だよね。
それにかけた時間がムダになったとか、残業が増えたとかいろいろあるけど、それよりは、一生懸命やったことがやり直しになったという虚しさが大きい。
なので、実務者としては手戻りはできるだけなくしたいというのはとても真っ当だと思う。

だけど、企画力ということだけで言うと、手戻りを避けようとしすぎることがむしろ企画力向上の妨げになるのではないか。
つまり、手戻りをできるだけ避けようとすると、どんな仕事のやり方になるか。
ひとつひとつ確認してから作業するようになるのだ。
相手に、これでいいですよねと確認をとってからものをつくり、言われていないことはやらない。
余計なことをやってもムダになるかもしれないからね。
これが手戻りのないセーフティーな仕事のやり方。
間違いじゃないんだよ。

だけどね、これは手戻りはない代わりに、新しいことは生み出せないよね。
相手の想像の範囲内でしか仕事をしないから、驚きも生まれない。
こなす力はついても考えて提案する力はつかない。
そして、手戻りしたくないとばかり考えて仕事をし続けると、言われたことや決まりの中でしか仕事をしなくなって、やるべきことはやりましたけど文句ありますか?という感じになる。
そうなると新しい提案なんて頭に浮かびようがない人になっちゃう。

でも普通の職場で、管理職のような立場では「手戻りなんてしょうがないだろ」とはあまり堂々とは言えないんだな。
管理する立場ではむしろ部下の手戻りをいかに少なくするかというのが常識的には役割だよね。
だけど、長い目で企画力を伸ばそうと思えば、手戻りを嫌がる守りの姿勢ではなく、むしろ手戻りなんて当然だというくらいでどんどん新しいことをやってみるんだ。
それで企画力は少しずつ身についていく。

こんなことを考えてしまったら、いざ仕事を目の前にした時、手戻りしたくないという本音と、手戻りしても提案してやろうという攻めと、自分の中で葛藤が生まれることになるんだろうなあ。
でもそれは仕事として正常な葛藤だよね。