会社で働くとは契約関係なんです2009年03月02日 21時36分39秒

シュウカツって言うんだってね、いまどき。
いまどきじゃないのかもしれないね。
でも僕の頃はご丁寧な「就職活動」という言葉しかなかったからさ。

このご時世、シュウカツは大仕事みたい。
良さそうに見える会社にどうやって入るか、狭き門をまさにくぐり抜けるには何が必要か、答えのない答えを追い求めるように、その時期になるとただひたすら入ることに心が追われるみたいね。

会社に入るって、お互いの契約ごとと考えるとわかりやすいんだよ。

とる側の会社はその人に何らかの戦力になることを求める。
入る側は、働くことで給料をもらうことを求める。
給料だけでなく、精神的なやりがいみたいなものが得られればもっといいね。

で、それぞれがかみ合ったときに契約関係が成立するわけで、面接で落とされたときは会社側がその人に戦力を見いだせなかったということで、実は逆に受ける側も自分に見合った給料の出ないところや、やりがいを感じなさそうな会社は最初から選択肢に入れないわけで、そうやって両者がかみ合う相手を探し続けるわけなのだ。

これは入るときだけじゃなく、辞めるときにも当てはまるんだよ。

会社を辞めるときって、だいたいは不満でしょ。
働くうちに何かに不満を感じ始めるのよ。
不満は給料だったり、長時間労働だったり、そもそも仕事内容がつまらなかったとか、人間関係とか。

僕も一度前の会社を辞めたけど、それは深夜残業続きの毎日に嫌気が差したこと、東京生活に見切りをつけたくなったことが不満の種類かな。
人間関係はすごく良かったよ。
そのグループのメンバーとずっと働けたら楽しいのになって思ってた。

だから誰かが辞めるときって、その人と会社側とのどこが契約関係としてかみ合わなくなったかを、それぞれが振り返ってみたほうがいいと思うんだ。

本人にとってそもそも仕事内容があわなかったとしたら、同業種で転職してもうまくいくはずはないし、でも人間関係なんだったら同業種で会社を変わるだけで生き生きと働き出せるかもしれない。

会社側も、その人の勝手で辞めていったと結論づけるのは簡単なんだけど、そもそもその人に求めていたことは何だったのか、そのためにできることはなかったかを考えた方がいい。
「この会社にあわなかったね」という辞めた本人の責任だけを問う結論だけを残すと、組織として何の進歩もなくなってしまう。

契約関係だから、会社側が求める人でなくなったというのならひとつの理由になるとは思うけど、それでもさ、個人と組織とでは圧倒的に組織のほうが強いから、組織としては個人が窮地に立たされる場面は避けさせてやりたい。

基本は契約なんだけど、一度契約関係を結んだのなら、人を大切にする気持ちだけは忘れないでいたい。
それが内面の契約のような気がするから。

東京の水工学講演会へ2009年03月04日 23時41分07秒

日帰りで東京出張してました。
目的は土木学会の水工学講演会。
災害シンポジウムを聴くために行ってきました。

昨年の神戸の水害の詳細な調査結果が報告されました。
ここで詳しく書きたいところですが、今日はもう遅いのでやめます。

それに、すごく興味深い内容で、とても盛りだくさんだったので、僕がまだ消化不良。
それをまた復習のように書くのはとてもエネルギーがいるので、それなりに消化できたときに書きます(のつもり)。

子供が流された昨年の神戸の水害の教訓2009年03月09日 06時18分50秒

水工学講演会で聴いた昨年の神戸の水害の話では、水害直後に新聞で言われていたことと、その後の詳しい調査でわかったこととでは、原因がだいぶ違っていた。

神戸のような市街地のうしろに山が控えているようなところでは、山に降った雨もあっという間に海まで流れ下る。
だから集中豪雨があれば下流ですぐに激流が発生してもおかしくないというのが、水害直後の見方だった。

だけど、詳しく調査をしてみると、山と市街地の境目あたりの場所では、あまり水が増えていなかったらしい。
山に降った雨は川にはあまり出てきていなかったということだ。

ではなぜ突然の激流なのか。
山から海までの狭い住宅街のエリアに降った豪雨が、下水管を伝って一斉に川に出てきた。
そして、その川は河床勾配が1/20-35くらいの急勾配。
川に一気にはき出された大量の水が、かたまりとして急勾配の川を一気に流れ下ったということだった。

山に降った雨が一気に流れ下ったわけじゃなく、中下流の住宅街に降った雨がまとまって川にはき出されて、水のかたまりとなって流れていったということ。

結論だけを聞いたら、なーんだそういうことかで終わってしまいそうなんだけど、終わってしまったらだめだ。
現実、その神戸の災害では5人の命が犠牲になっている。
防げなかったことをこの分野にかかわる技術者、専門家は敗北と認めたほうがいい。(もちろん僕自身も含む)
教訓として活かさないと、またどこかで必ず起こる。

シンポジウムの会場からのコメントで、いまや時間雨量100mmという豪雨は毎年どこかで起こっていて、みんなが自分の地域でもありえることだという認識をもたないといけないと言われていた。
今回の災害の教訓をきちんと日本全体に提言として強く発信しなければいけないと言われた先生もいた。
同感だ。
ただ、僕ら現場の技術者としては、上からの提言を待つのではなく、できること、やるべきことは先にどんどんやればいい。

もうひとつ、シンポジウムは学会の中の講演だったので、参加していたのはほとんどが大学の先生達。
実際の施策に移す立場の行政の方々、国土交通省の人も、都道府県の人も、さらにコンサルタントの人たちもほとんど来ていなくて、会場の切迫感が行政レベルにはなかなか伝わりそうにない。

災害も半年も経てばもう忘れられてしまう。
ほかの地域で起こったことは特にそうだ。
北海道も例外じゃないのだ。
同じような突発的な局地的豪雨での災害は十分に起こりえる。
神戸の水害を教訓にさせてもらって、北海道でこれから何をすべきか行政の方と議論しながら真剣に考えていこうと思う。

「同窓会ギライ」に同窓会のお誘いで心揺らぐ2009年03月11日 06時19分35秒

大阪の懐かしい友達から電話が来ました。
高校の同級生。
同窓会の案内でした。

高校のクラスでは卒業以来同窓会はやっていないので、約20年ぶりに集まることになります。

電話をくれた彼は大阪で大手電器メーカー勤務。
電池の研究開発をやっているとのこと。
電話で話すのも卒業して以来なので、もう20年以上ぶり。
それでも、話し始めたらふつうに近くにいる友達のように会話が始まるので不思議だなぁと思いながら話をしていました。

同窓会は5月2日。
高校の最寄り駅の駅前の居酒屋でやるそうで「太郎は無理だと思うけど、一応連絡だけはしとかなあかんと思って」と彼は言います。
だけど僕はちょっと乗り気。
しばらく大阪には帰っていないので、これにあわせてほかの用事もすますこともできるかなと。

実は僕は「同窓会嫌い」。
大学の頃だったか、部活の同窓会のようなのに出たときに、みんな過去の部活の頃の思い出話ばかり、あのときしんどかったよなぁとか、あいつが転んで笑ったよなとか、そういうたぐいの話ばかりになって、こんなトシで過去を振り返ってばかりってつまんない、バカバカしいってしらけてしまったんですよ。
それ以来、同窓会は大嫌い。
誘われてもほとんど行かない。

だけど今回は不覚にも気持ちが揺らいでしまった。
トシのせいか?

本:リーダーシップからフォロワーシップへ 中竹竜二2009年03月14日 10時05分34秒

最近読んだ本から

『リーダーシップからフォロワーシップへ』 中竹竜二 阪急コミュニケーションズ

サブタイトルに「カリスマリーダー不要の組織づくりとは」とある。
著者の中竹氏は早稲田大学ラグビー部の現監督。
この方が書いたリーダーシップ論なんだけれど、リーダーシップよりフォローワーシップが大事だと提唱する。

フォロワーシップとはほとんど聞いたこともないような言葉なんだけど、僕なりに解釈して簡単に書くと、リーダーがりりしく組織を引っ張るのとは逆に、メンバーが下から主体的に行動することで組織のスタイルをつくっていくという方法。
ちなみにフォロワーとはここではリーダー以外の人としていて、組織にはリーダーがいて、リーダー以外の構成員(フォロワー)の支えで成り立っているという見方だ。

組織の目標をリーダーがばしっと決めて、メンバーに「あなたのやるべきことはこれ」と伝えることで、組織をリーダーが引っ張っていくのがリーダーシップ。
逆に、全体の方向性はリーダーが決めつつ、その中でメンバーそれぞれが自分のやるべきことは何か、チームに対して貢献できる役割は何かを考えて実行する。
これがフォロワーシップなのだ。

名門の早稲田大学ラグビー部はある時期低迷していたのだけれど、OBの清宮氏という超カリスマリーダーがやってきて、チームを改革することで常勝チームに復活させた。
そのカリスマ清宮氏から監督を引き継いだのがこの中竹氏。
清宮氏とは対照的に自分にカリスマ性を求めず、選手の自主性を最大限に引き出す指導で学生王者を再び奪った。

成功した両極のチームづくり。
はたしてどちらがあるべき姿なんだろうか。

僕は実際に同じような経験をしたことがある。
前の会社に、当時、超カリスマ部長がいた。
支社の札幌で働いていた僕は東京の本部にいるそのカリスマ部長に憧れていた。
何とかそのカリスマ部長がいるうちに、どんなリーダーシップで部署を引っ張っているのかを見てみたいと思っていた。
そして、幸運にも転勤願いが通って、その部署に移ることができた。

身近で見たその部長の仕事は、想像以上にカリスマだった。
できる管理職は生き生きとしていて、ペースについて行けない管理職もそれはそれで精一杯の役割を担おうとしていた。
ぺーぺーの僕にとっては雲の上のような存在で上の人たちのやりとりを眺めるだけだったんだけど、技術士をとったらその部長がいろいろ声をかけてくれるようになって、少し認めてもらえたのかもと思ってとても嬉しかった。

そのカリスマ部長が異動となり、次についた部長が全然タイプの違う方だった。
カリスマ性がないというわけじゃないんだけど、強烈にまわりをぐいぐい引っ張っていくというタイプではなく、まわりの人達の考えをじっくり聞きながら、進むべき方向を一緒に考えるという方だった。
それでいて決断はすぱっとしていて、さらに人柄も良く、人望も厚かった。

だけど僕は、正直言うと、最初は物足りなかった。
りりしいカリスマ性に憧れていたので、メンバーに考えを求めるスタイルは、リーダーとしてはちょっとどうかなと思っていた。

それが時間が経つにつれて違和感をもたなくなった。
何より、部長というリーダーに対して誰も顔色を伺うということがなくなった。
僕自身もあまり遠慮せずに部長に考えをぶつけられるし、まわりの人達もそんな感じだった。

長くなったので、続きは次回に。